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12月, 2019の投稿を表示しています

2019.12.29.

年末年始ずっと一人ですかということはおいといて。明日から、好きなように勉強できて、好きな時にdvd見たり散歩したりもの1週間(次の日曜日は5日)。

2019.12.28.

金沢ではしばらくゆっくり2人で話す時間をとれていなかった友人と、京都でゆっくり話して、いい時間。そろそろ金沢に戻る準備する。 ここから年末年始たいてい金沢にいる予定。

2019.12.26.

今日明日はこの集中講義を聞きにきている。 京都大学こころの未来研究センター 認知行動・脳科学集中レクチャー2019「多感覚処理に関わる脳内ネットワーク ~触覚から社会認知まで~」http://kokoro.kyoto-u.ac.jp/cognitive_lec_2019/ そして夜は、初、出町座。 出町桝形商店街の中にあった。来たついでに、ハル・ハートリーの中短編をいくつか見た。

2019.12.25.

天王寺駅北の食堂、すゑ〇〇。 今夜は肉丼460円と、常に頼む豆腐のたくさん入ったみそ汁60円。今年は2回しか来られなかったけれど、年末に来れて、開いていて、良かった。 (フロアーを一人でこなしている店員さんのありかたにもいつも感心する。) 大阪にいた時ここで食べて教育大の二部の講義をするのが、楽しかったし、安心できた。 (関大の二部の教職講義にも龍谷大の二部の教職講義にも同じような思いがあった(名称は、夜間主とかフレックスとかいろいろだったけれど)。とてもありがたい時間だった。ただし、すゑ〇〇や授業後歩く町並みはやはり独特に思い出す。)

2019.12.23. 大学出勤については一人仕事納め

この大学に勤めだして5年間でダントツに早い一人仕事納め. 2019年, いろいろありがとう。 研究会や書く仕事は年末年始関係なくあるけれど.大学に出勤するのは年内おしまい. 30日や31日に研究室かどこかにいる気もするけれど,できるだけ出ない。

「屈服させた、正論言ったったあ」の出来事をボケとして眺めた、そこから考 え る

他の人からするとツッコミどころ満載だが本人は屈服させた,正論言ったったあ,みたいな人のいる,そういう出来事がある. また,正論言ったったあの本人はたいてい同じことを繰り返す. それで,1つずつ詳しく問い直すとか,そういう言い方でなくゆっくり話し合おうと提案するとかしないで, 全体をボケとして眺める. これには確かに長所がある. というか,そういう受け入れ方が社会の中で減っているだろうし,まず,それもいいこととする. しかし,問題もある。 1 それは,冷笑にしかなりえないのか. そんなこともないだろうと思うが,では何なのか. 2 それによって,正論言ったったあの人は変わりようがないのか. 「どういう関わりを持つか」という関心が中心にある時,この出来事や上記の問題をどう考えるか,もう少し明らかになったら続きを書く。 蛇足だが、自分はそのタイプでないと思いたいが、いずれにしても自分もボケとして眺められることは歓迎だ。 hona! t_kikuchi

2019.12.22. 『正義論──ベーシックスからフロンティアまで』

昨日の午後からは、『正義論──ベーシックスからフロンティアまで』の合評会を兼ねた研究会。同志社大学今出川キャンパス。 刊行まもなく、1年生対象の授業「医療と社会」でこの本の2つの章を紹介した。 この本に関する記事の続きは、後日ここに追記していく予定。

2019.12.21.

2019.12.21. 朝、金沢21世紀美術館近くの、がん患者さんたちの対話の場の進行をして、駅に移動、14時からの研究会に向け京都へ。 サンダーバードが定時運行すれば研究会に遅刻しないで行ける時間に、無事間に合った。 この対話の場は偶数月開催で、毎回とてもいい時間にしていただいている。クリスマスの経験を聞きあうところからスタート。年内最終。ありがとう。

「年内授業いつまで?」専業非常勤講師の時はどうしていたか

今日(12月20日), 担当授業の年内最終日だった. もし読者に現在授業に参加している学生がいたら,ここまでありがとう,来年元気に再会するのを楽しみにしているよ,と伝えたい. さて. 今回の話題は,「年内授業いつまで?」とする. 大学教師の生活は,20年ほどになる。大学生相手の授業が好きだから,その間ずっと, 授業の終わる時期がいつでもかまわないという気持ちもある(大学教師は授業以外の仕事も多いから,年内の仕事はそれとは別にまだまだ先まであるし). とはいえ, 授業がいつまであるかということは,学生も教師も意識するものだ。 また,「年内授業がいつまであるか」ということ1つとっても,「専業非常勤講師の時の状況」と「所属先に日々勤務する大学教師である現在の状況」で違いは小さくない. 少し記してみよう。 2015年3月まで, 毎週8つくらいのキャンパスを移動して授業担当する生活をしていた. フリーの大学教師(専業非常勤講師)という意識で,さまざまな大学を渡り歩いて授業する生活はけっこう気に入っていた. しかし,きついことはいくつもある. 当時の年内授業はいつまであったか. これもその1つだ. 記憶頼りだが,おそらく12月27日前後が最後だった. これは通常の授業日程がそこまであるというのではなく,「補講」がそのへんになるということだ。 それならば休講しなければいいじゃないか,ということなのだが, 毎日異なる大学(同一大学の別キャンパスという場合も含む)で授業をするような専業非常勤講師の場合, そこそこ体力に自信がある人でも1学期休講なしでいけるものではない(学会参加などの研究関係での休講を別にして言ってもそうだと思う). それはどうしてか. 人によっていくつも理由があるだろうが,わたしの場合,下記2つのことが大きかった。 1 「それぞれの大学の事情で休みが設置されること」と「それぞれの大学の事情でカレンダーの休日が授業日になること」と「それぞれの大学の試験時間割が通常授業時間割とずれること」が組み合わされる. そうすると,学期中にたいてい複数の大学の授業を休講にせざるをえないということが生じる. また,たとえば2日程度の決まった補講日だけで補講することを求める大学もある. そして,休講を補講しないことは基本許されないとすると,「そんな時

2019.12.18. これが最後のブログのつもりで,ブログを書くのを再開します.

2019.12.18. これが最後のブログのつもりで,ブログを書くのを再開します. これまでに何種類かブログを書いてきたけれど,昨年か一昨年かに(それももう忘れたけれど)いったんそれらを全部閉じた. twitterも以前のアカウントを閉じ,新しいアカウントもしばらく「鍵(かぎ)」で運営した. https://twitter.com/gdlktak twitterはひと足早く鍵を外し,  indephona 菊地建至 (t_kikuchi)を公開している.  ただし,そのプロフィールにも記しているが,「 フォロー申請やリプライに応えないこと,ブロックもあるけれど,いまのコンディション,センス,そういう運ということでお願いします」としている. きっと毎日は書かない. とはいえ,あまり日を置かずに,twitterの飛び地くらいで使っていければと思う. あなたが「最後の」という言葉に重いものを感じとられるとすれば,それは取越し苦労というものだろう. これを書くのを止めることがあればもうブログは離れていいだろと,自分に1つの縛りをかけたということだ(いまのところその意味でいい). hona! t_kikuchi